Life=Risk ソラチカ

「空は思ったより近かった。」なるべくお金をかけないで旅に出たり人生を楽しむ方法を模索するブログです。

The sky is closer than people think

空は思ったより近かった ~ソラチカ~

竹藪のおじさんが教えてくれたこと

川沿いの道を車で走る。プライベートでは滅多に通らない道だ。仕事中でも用事があるかと言われれば決してそうではないのだが、この川の河川敷は私の貴重な休憩場所なのだ。

この川は街の人に愛されている。海水浴場のないこの街では、夏になると川のあちらこちらでパラソルの花が咲く。魚を獲ったり泳いだりバーベキューをしたり、人々は思い思いに川のある生活を楽しむ。

信号待ちをする時に嫌でも川の横にある竹藪が目に入る。嫌でも目に入るが、別に嫌な思い出があるわけではない。むしろ楽しい思い出だと思う。ただ、日常の姿に戻っただけなのに寂しさのようなものを感じるのはなぜだろう。

ほんの一時期だが竹藪の中に小屋があった。気が付くといつの間にかできていたのだ。注意深く見ないとわからないその小屋は、私が子供のころ友達と作った秘密基地を思い出させた。いつも私が休憩する場所から十分に歩いて行ける距離だ。たぶん、私は好奇心が旺盛な人間なのだと思う。その小屋をもっと近くで見たくてたまらなくなっていた。好奇心は猫を殺すと言うが、それでもやはり好奇心には勝てない。私は散歩がてらその小屋を見に行くことにした。

近くで見ると小屋は高床式になっていた。材料は当たり前のようだが竹だ。器用に竹を組み床と地面との間に空間を作っているのだ。寒さや湿気から身を守るための工夫なのだろう。屋根はブルーシートだ。小屋と表現したがテントと言った方がよいのかもしれない。小屋とテントの明確な定義の違いを私は知らない。小屋の周りにはでこぼことした古びた鍋などが置いてあり、焚き火をした跡が残っていた。小屋の主はどうやら留守のようだが、ホームレス、路上生活者の類なのだろう。高床式の小屋に住んでいる人間がホームレスと言えるかどうかは疑問だが。都会ではよく見掛けるホームレスだが田舎ではあまり見掛けない。定住するホームレスは尚更だ。田舎というのは閉鎖的なのだ。ホームレスが生きていくためには都会的な無関心、よく言えば寛容さが大切なのだと思う。誰かの寝床だとわかると私の興味は薄れた。手品の種をみせられたような感覚だった。

数日後、いつもの休憩場所に立ち寄ると見慣れない男の人がいた。誰もいない場所だから休憩場所にしているのに。しかし私専用の場所というわけでもないから我慢するしかない。よくよく見るとその50代くらいの小柄な男性は汚れた服装で顔が妙に黒い。日焼けサロンに通っているわけではなさそうだ。私の中で薄れ萎んでいた興味がむくむくと頭をもたげてきた。手品の種を見せられるのは興ざめであるが、今目の前にいるのは手品師その人ではないのか。竹藪の小屋の主であろうと考えると、どうしても誘惑に勝てず私は話し掛けてみることにした。

竹藪のおじさんは、意外なくらい饒舌で明るい人物だった。隣町に兄弟がいるが縁を切られていることや派遣の仕事を切られて住む場所を失ったことを、さしたる悲壮感もなく語った。それどころか、食べるものがないのでイタチや狸、ムカデまでも食べてみたと得意そうに話した。私はイタチや狸は食べられるかもしれないがムカデは無理だ。どれほど空腹に陥ったとしてもムカデを食べることはないだろう。コオロギ粉で作ったコオロギバーが世界の食料事情を改善するものだと喧伝されても、それを口にしたいとは思わないように。

驚くべきことにおじさんはお金を貸したが戻ってこないという不満を抱えていた。昔の話ではなく、竹藪に小屋を作って住み始めてからの話だという。お金を貸した相手は自称的屋のじいさんで、古い軽四のワンボックスカーに乗っているらしいが、どこに住んでいるのかだけでなく名前すら知らないという。1万円くらいだとは言うが竹藪のおじさんにとってはずいぶんな大金だろうし、この状態の人からお金を借りて踏み倒す人間がいるのかと思うと恐ろしい。貸す方も貸す方だが、借りる方も借りる方である。

もっとも、竹藪のおじさんと的屋のじいさんは、仲の良い時期もあったようで一緒に河川敷で鶏を焼いて食べたのだと話していた。竹藪のおじさんは、あれは旨かったと話した後、鶏は首を切っても走るのだと教えてくれた。鶏の首は的屋のじいさんが車に積んでいた日本刀で切り落としたそうだ。商売道具なのだろうか。ガマの油でも売っているのかもしれない。いずれにしろ、平成の世に私の身近でこのようなことが行われていたと知るのは、かなりのカルチャーショックである。

竹藪のおじさんはある意味、究極のミニマリストだ。その上誰にも指図されないし、いつどこで何をしていてもかまわない。でも、おじさんは望んでそんな生活をしているわけではないし、決して現状に満足していたわけでもない。何も持たず何も背負わない生活に憧れることはあるけれど、自由というのは時にあらゆる束縛より残酷なのかもしれない。話している間、おじさんはよく笑った。きっと人は誰かと関わることで笑うことができるんだ。

おじさんと別れてから、私はふと思いつき近くのコンビニでパンを買っておじさんのところに戻った。おじさんの話は面白かったし学ぶこともあった。パンを差し出すと、おじさんは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたけど、すぐに「パンなんて久しぶりだ。」と笑った。

それから、しばらくすると竹藪の小屋はなくなっていた。やはり田舎では目立ちすぎるのだろう。うまくカモフラージュされてたけど。