Life=Risk

なるべくお金をかけないで旅に出たり人生を楽しむ方法を模索するブログです。

こうして世界は優しさで満たされていく

数日前に自宅近くにパトカーが止まっていた。「事件か!!」と身構えていたが特に何かが起こった様子はなかった。妻の話によると、近所の人が「おまわりさんが来て路上駐車を注意された。今まで誰にも言われたことがなかったのに。」と話していたそうだ。よく路上に置いてある車を誰かが匿名で通報したらしい。私も邪魔だと感じることはあったが、この住宅地に住む人間しか通らないような場所だし、道幅はそれなりにあってその車がとまっていても通れないわけではないから無視していた。そもそも、近所の人間ならみんな誰がとめているか知っているから直接言えばいいのだ。

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私は大きな事件でなくてよかったと胸をなでおろしたが、ふとあることに気付いた。この住宅地に住む人間しか通らないような場所なのだから、通報したのもこの住宅地の人間ということになる。車をとめていた人間からすれば「誰が通報したのか?」ということになるだろう。私も当然、容疑者リストに入ってしまうわけだ。関係する家は十数軒だし、駐車位置から更に絞り込むことも可能だ。それこそ、蝶ネクタイをした小学生なら容易く犯人を指摘してのけるかもしれない。この場合、路上に車をとめている人間が一番悪いわけだから、通報した人物を犯人と呼ぶのは間違いかもしれないが。

ひょっとすると近隣の人間関係を壊す大事件かもしれないと思い至ると同時に、通報した人物は恐らく優しい人間なのだろうと考えた。車をとめている人物に直接言えば波風が立つと考え、第三者に代弁させる道を選んだのではなかろうか。恐ろしく想像力の欠如した選択だとは思うが。考えてもみてほしい。いきなり警察官がやってきて注意されるのだ。私なら、まあ路上駐車はしないが、直接言ってくれよと思うはずだ。物事には段階というものがある。時として人は軋轢を恐れるあまり間違った選択をしてしまうのだろう。しかし、お互いに直接批判し合うようなことはせず、本音を隠して生きていくのが優しい世界なのだろうか。時には誤解を恐れず真実を告げるのが本当の優しさではないのか。少なくとも私はそうありたいと思う。

そんなことを考えていると大学生の娘からラインがきた。私の健康状態でも気遣う内容だろうかと画面を見ると「5月からの講座で30万ほどいるらしいんだけど大丈夫?」と書かれていた。大丈夫なわけがないという思いと裏腹に指先が勝手に「わかった。勉強頑張って。」と打ち込んでいく。

こうして世界は優しさで満たされていくのだ…

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