Life=Risk

なるべくお金をかけないで旅に出たり人生を楽しむ方法を模索するブログです。

女性と運命の再開を果たした話

数年前の秋のことです。

私はクレーム処理のため、職場の先輩と一緒にあるアパートを訪れました。クレームは1階の部屋に住む女性からのもので、その女性は年の離れた旦那さんと二人暮らしであることがわかっていました。私も先輩も一度も訪れたことのない部屋でした。クレームの内容も受け付けたのは私達以外の者であったため、よくわからないと言うか意味不明な内容でした。

気が進みませんが訪問の約束をしているため、私が玄関のチャイムを鳴らしました。古いアパートなのでカメラもインターホンも付いていません。本当の呼び鈴というやつです。2回ほど鳴らしましたが応答がありません。できれば帰りたいところでしたが、一応ドアノブを回してみます。在宅していたのに来てくれなかったという更なるクレームを生まないためにそれなりの努力はしておかなければなりませんから。

(鍵が掛かってくれていれば…)

私の願いも空しく鉄製のドアは施錠されておらず、少し開いた隙間からテレビの音が聞こえてきました。

「すみませーん。〇〇の者でーす。」

私は玄関ドアを大きく開き、一歩玄関内に入り大声で呼びかけました。狭い玄関です。大人二人が横に並ぶことはできません。必然的に先輩は私の後方に位置して、私が開けた玄関ドアを手で押さえる役回りとなりました。

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(また、私が話すのか。まあ、先輩にやらせるわけにもいかないからな。)

内心、損なポジションになったと思いました。私は身長180センチメートル近くあり、がっしりした体型です。先輩は私の後方に位置すれば、クレーム攻撃からの被弾を免れることになります。その代わりに私は全弾被弾してしまうことになりますが。

二人一組でのクレーム処理の場合、様々なテクニックがあります。最初にコンタクトした者が嫌われ役を演じるというのはオーソドックスな手法と言えるでしょう。この場合、頃合いを見てもう片方が助け船を出します。より相手の意見を汲み取った譲歩案を提案するわけです。この役はいい人を演じればいいので比較的簡単です。ファーストコンタクトを行う者は、更なるクレームを生むことなく、嫌われ役を演じるという微妙なさじ加減が必要になってきます。

今回はどうするかなと思いながら、再度、奥の部屋に向かって声を掛けようとした時に、その女性は姿を現しました。

30歳前後の女性です。秋だと言うのに露出の多い服装で、肩の辺りにはタトゥーが入っていました。そして、私はその女性に見覚えがありました。

(こう来たか…)

私は運命の神を呪いました。いや、正直この時はそんな余裕もありませんでした。なぜなら女性は自分の首に包丁を押し当てながら出てきたからです。

「まずいな。」

私の後ろで上ずった声で先輩がつぶやきます。そんなことは言われなくてもわかっています。本当にまずいのは何も身を守るものがない状態で、彼女と数メートルの距離で対峙している私なのですから。

彼女は私から3メートルほど離れた場所で立ち止まりました。相変わらず虚ろな目をしています。そのまま近付いて来てくれたら私の覚悟も決まったのに、絶妙な距離感です。

「ここ切ったら死ねるかなぁ。」

「いや、それは止めた方が…」

制止する私の声など耳に入らないのか、彼女は自分の首に押し当てた包丁を小刻みに前後に動かし始めました。

「もうこれはいかんぞ。」

私は後方からの先輩の声に怒りを感じました。

そんなことはいちいち解説されなくても、私が一番理解している!!

その怒りもあって、私は靴のまま一気に間合いを詰め、彼女の手から包丁をもぎ取りました。幸いなことに彼女は特に抵抗をしませんでした。抱きかかえるように彼女を玄関に座らせ、彼女の首を確認すると赤く筋がついているものの出血はしていませんでした。手にした包丁をよく見ると刃の部分がかなり錆びていました。

私は靴を脱いで錆びた包丁を手に「失礼しまーす。」と言いながらテレビの音がする居間に向かいました。

居間では坊主頭の年配の男性がちゃぶ台の前に座りテレビを見ていました。60代と思われる男性の眉毛もまたタトゥーでした。私は、この人が旦那さんだと直感し「〇〇の者ですが奥様の調子が悪いようなので、今日は失礼します。また問題がありましたらご連絡ください。」と声を掛けると、男性はテレビから目を離すことなく「ああ。」とか「おお。」というような返事をしました。

私はちゃぶ台の上に包丁を置き「これはお返ししておきますね。」と告げると、玄関に戻りました。女性は玄関で座り込んだまま無言でした。

「それでは失礼しました。」

私はそっと玄関ドアを閉め、クレーム処理が完了したことに安堵のため息をつきました。

この後、程なくしてこの夫婦は転居し、私は今日に至るまで女性と会うことはありません。もう二度と会うのはごめんですが…